みづから知らずといへども

 原研哉「白」を使った高2現代文授業の1回目。東大現代文が30年間問い続けている「文化」の定義。今回の文章では、「暗黙の了解」の語が使用されています。即ち、個の美意識の共感伝播が(王道政治における王沢のように)拡がって文字言語の表現世界を文化(目に見えない制度)として定着させたということが理解できるか否かがキーになりますね。
 さて、二矢を「おとや」と読むのは一矢が「はや」だからですが、『徒然草』第92段を引用した部分、「矢を一本だけ持って的に向かう集中の中に白がある」という名フレーズ、これが意味することは非常に重い。二の矢への依存が懈怠に至ることを避け、諸事絶えず不可逆一回性の覚悟で日常を送れるか否か、これが授業でも特講でも部活でも文化祭でも受験でも勝敗を分けることになります。その覚悟を、私が関わった生徒が身分けてくれることを切に望む、んだけれどもこれが難しい。私自身でも実践は遙か彼方です。

 以下、第3回定期考査の講評(教務部の私の担当)の為に、次の学年集会で話し、学年通信に載せる文章から一部抜粋。
 【池ノ都は、国語科の恩師である※※先生と再びお会いするためにF校に就職しました。先生と9年間仕事をご一緒出来る、その為ならその他の全てを捨てて良いと思って飛びこんだのです。夢のような時間でした。先生がお辞めになった今は、授業の準備・問題作成・添削・読書、何をやっていても「こういう場合に先生ならどうなさっただろう、どうお感じになっただろう」と想像して、それだけで幸せを感じられます。これ以外に個人的な楽しみは一切要らないと思える程です。そうやって行っている仕事がもしも皆さんの役に立つなら望外です。
 しかし、私には一つ傷があります。先生のご在職中、私は多くの高校生に対して原研哉『白』の授業も行いました。中学生に対して『徒然草』の諸矢の授業も行いました。一の矢だけの「不可逆」な「一回性」を仕事で生きようと思っていましたし、非力ながら姿勢だけはそうしていると自認していました。
 しかし、先生はご都合により、定年まで後二年を残して退職なさることになります。知らされたのは最後の年の秋。それを知ったとき、私が真っ先に考えたことは「まだ教わりたいことがたくさんあるのに!」ということでした。そして直後に、自分が「あと二年」という「二の矢」に依存していたという厳然たる事実に気づいたのです。
 これ以上無いくらいの挫折でした。自分が生きる全てをかけようと思っていた事柄を、自分自身が疎かにしていたという事実に気づいた絶望感や恥ずかしさは、これは体験した人にしか分からないかも知れません。先生を思いつつ仕事をする幸せは、ですから今でも、そして多分死ぬまでその裏に罪悪感と無力感とを貼りつけているのです。
 「一回性」の的を射損じた人間の戯れ言でしたが、「一回性」への覚悟を生きるのはそれだけ難しいことなのだと思って頂ければ幸い。第4回定期テストまで、『白』の「一回性」を覚悟して頑張って下さい。】