寂しい時は 一人で歩こう

 4時過ぎに起床。この時点で大浴場は勿論閉まっている訳ですが、部屋風呂なら何時入っても無問題、総檜が私を待っています……んですけれども、流石に一晩経ったらお湯がだいぶぬるくなっていたので、先ずは昨日と逆、お湯(温泉)を足しながら「湯かき棒」で全体をかき混ぜるという作業を暫く(これが結構な労働で汗をかくんですけれどもその後で風呂に入るわけですから勿論無問題)。4時半過ぎには入れるようになったので、先ずはシャワーで身体を洗ってからざぶり。目隠しの隙間から見える外の風景は、最初は未明でしたがゆったりお湯につかっている内に段々と白んで来ました。自宅マンションを購入する前はよく「Joyful」で特講の添削をしながら空が白んでくるのを眺めていましたが、あれの「悲壮感」とは全然違いますね。しゃ~わせ。

 6時前のフロントは勿論無人で、だからと言って玄関に置かれている宿の下駄は長歩きにはふさわしくなさそうなので、勝手に靴置き場を漁って自分の靴を取り出しました。昨日のゲリラ豪雨にやられた靴は、旅館の方が新聞紙を詰めておいて下さったおかげで殆ど乾いています(少なくとも、履いて歩くのに不快ではない程度に)。
 杖立を6時前の散歩、神宮と薬師堂とがあることは調べていたので、そこで仕事運・疫病回避・70回生合格等々を図々しく祈願しようと思ったのですね。聖地ならどれだけ早い時間に行っても大丈夫でしょうから、感染対策として人が少ない時間を選ぼうとしたらこの時間になりました。30分ほどで帰れるかな……と思っていたら、迷路好きの好奇心を擽る町構造に誘われて90分超の小冒険になってしまいましたので、以下その顛末。

 今泊まっている「ふくみ山荘」1泊のお値段は、これまで自分のお金を出して泊まった宿泊施設の中では最高額レベルなんですね(他人から出して貰ったのになら、56回生Mくんの結婚式の時に手配された恵比寿「ウェスティン」等があります)。ところが、その山荘の入り口に向かう道が大通りどころか川沿いの小道を折れた細い細い路地(民家と民家との隙間で、開いた窓から生活音や住人の声が普通に聞こえます)しかないんです。隠れ家宿にも程がある(昨日は、豪雨もあって、中々入り口が分かりませんでした)。
 高級宿への道すら例外ではなく、杖立という地は、町全体が細い細い路地の張り巡らされた蜘蛛の巣迷路になっています。路地は途中で幾つもに分岐し、坂道階段の上下を繰り返しながら幾度も折れ歩いている内に方向感覚が無くなってきます。しかも、どこを歩いても「どん詰まり」が無くどこかがどこかには繋がっているので、油断をすると同じところをぐるぐる回ることになる。行き止まり無き階段路地ぐるぐる、これは地図無きエトランゼにとってはリアル『ドラゴンクエスト』感で、アラフォーなら分かるかしら、ルラフェンとかエルヘブンとかよりもずっと複雑でした。

 真ん中を大きな川が流れる杖立は橋の町でもあります。川を渡るための3本の大きな橋にはそれぞれ地蔵様が祀られており、どうせなら3本とも渡ろうとした私はそれぞれに祀られている「子育地蔵」「健康地蔵」「恋愛地蔵」にご挨拶をしてから写真をパシャリと……撮ったんですけれども、3枚の内なぜか「恋愛地蔵」だけはピンボケてちゃんと写っては下さいませんでした。「元気」に「教員」をやれているだけで良しとするしかないんでしょうかね。
 その3本の内の最下流域にかかっている「さくら橋」は唯一の屋根付きの橋。その屋根の下には、願い事の絵馬(ご当地鯉幟の祭に因んだ「絵鯉」)がびっしりかかっているという縁起橋です(渡ったら先ず目に飛び込んできた「九大合格」絵鯉のあなた、頑張れ!)。橋の両端には閉業ホテル(柵で囲われ立ち入り禁止)、この景色は廃ビル・廃屋好きの心が擽られそうですね。

 2個所の目的地の内「杖立薬師堂」は旅館徒歩1分の所で出発前に先にお詣り、ということで散歩の最終目的地は「杖立皇大神宮」になりました。歩いて歩いてこの時点で既にいい汗をかいているのですが、最後の「大神宮」に向かう石段は難敵です。落ち葉だらけの上に昨日の豪雨で濡れていますのでなかなかに危険、ところが上ろうとしたところへ向こうから降りてこられた地元のお爺さんは慣れたもんでひょいひょい跳ねながらというお元気さで、すれ違った私に「観光かい? これ、134段だから!」と快活な声。革靴の及び腰は恥ずかしいですがここは用心、まだ厄年にも到達していないのにこんなところで滑って怪我をする訳にはいきません。というか「滑る」はご法度、この「大神宮」の由緒には菅原道真の名前もあったので、わたくしの仕事運と70回生高3の躍進とは特に念入りに祈願を。この石段の上り下りで上半身(Tシャツ)は完全にぐっしょりです。
 杖立温泉、良いところ。何匹も我が物顔の地域猫や、観光マップには載っていない大杉・滝など小発見が楽しく。町中(まちじゅう)をうっすらと温泉の匂いが包んでいるのも良。90分の散歩の後は、無人を確認してから大浴場へ。朝食前に2度目の入浴、温泉ならではです。

 昨日と同じ個室で朝食。これは焼き鮭以外はお野菜中心の家庭的なもの。お櫃のご飯は2膳頂いて、これで夜まで何も食べなくて大丈夫。部屋に戻ってから、ルームサービスで名物の杖立プリンを注文して食欲にとどめ。
 さらにさらに、チェックアウト前にもう一度、部屋風呂総檜をたっぷりと堪能するダメ押し。その後、チェックアウトの時に渡された領収書にミス(2本飲んだ日本酒が1本しかカウントされていなかった)があったので指摘して料金を訂正して貰いました。嘘っ? ていうくらい謝られたんですけれども、そんなので怒るような渋ちんだったら黙って日本酒1本分奢られてると思いますよ。

 山道を折れ降りるバス、40分間かけて日田まで、私以外の乗客は2人で年若いカップル、右側に座った男性の方がやたら女性に凭れ掛かって行って、後ろの座席から見たら漢字の「入」みたいになってました(国語教員だけに感想が金八的です)。ウォークマン椎名林檎カップリング集を聴きながら(「時が暴走する」とか「Σ」とか「東京の女」とか、懐かしいです)。

 大きな荷物を日田駅のコインロッカーに入れたら再びバス乗り場に取って返し、乗り換え約20分で次に乗るべきバスが出発する……のですが、杖立を往復したバスよりさらに一回り小さな車は「これ、バス? ワゴンじゃなくて?」という代物、客席8つ。私は1人掛けの椅子に座りましたが、2人掛けの椅子は見知らぬ人同士が相席をする格好でご時世柄緊張感が。目的地は終点の「皿山」ですが、昨日の杖立行きと同様、終点にある観光地を目指している乗客は皆無で私以外は全員途中下車。「皿山」とは「小鹿田(おんた)焼き」の窯元9軒が集まった山頂の集落、焼き物の里です。という訳で、独りバス(の、ようなもの)を降り立った私、先ずは「皿山地区」の頂上にある「小鹿田焼資料館」で知識を概観。

 歴史の中で「鬼田」→「鬼鹿田」→「小鹿田」と表記が変わっていった「おんた」。「鬼」は「オヌ」で即ち「隠(見えないもの)」というのは高校時代に馬場あき子『鬼の研究』で読みましたが、要するに山奥の「隠田(年貢逃れの隠し田んぼ)」が地名の由来なのでしょう。鹿の生息地だったこと等から歴史的に漢字表記が変わって行き、今は「小鹿田(おんた)焼」です。
 という訳で、先ずは焼き物とは関係ない「隠田」の方に行ってみることに。皿山バス停の焼き物集落「皿山地区」は9戸が暮らす一子相伝の焼き場なのですが、そこから更に(何が起こったか心配になるレベルのガードレール破損で怖さ倍増の悪路を汗だくになって)山奥どん詰まりまで登れば、たったの3戸で山間の棚田を経営している美観地区が開けます。波佐見町に続いて人生2度目の棚田、「焼き物と言ったら山」→「山と言ったら棚田」のマジカルバナナが共鳴しました(但し、波佐見町とは違いこちらは日本の「棚田100選」には選ばれていません)。
 日田観光でここまで(しかも徒歩で)来る人は流石に居ないだろうし私もぶっちゃけその気はなかった、のですが往復25分の山道を小走りしたのは棚田地区の名前が「池ノ鶴地区」だったからでしょう。他所ごととは思えずに最早足が勝手に動いちゃいました。ここの棚田は波佐見町のとは異なり全体が厳しく柵で囲われていましたが、これを「この木なからましかば」と言ったら私の無粋、こんな山奥に用もなく(写真は撮りましたが)立ち入るのは不審者扱いやむなしでしょうね。実際、「皿山」地区に戻る時に郵便局のオートバイとすれ違ったんですけれども、局員の人、下りてくる私を見てギョッとした顔をしてましたもんね。

 「小鹿田(おんた)」の名の通り嘗ては確かに鹿の生息地だったのでしょうが……「この鹿威しはデカすぎる」と独り言。何のことかというと、陶芸用の土をこねる方法が、超巨大な鹿威しの仕組みになっているという話(意味が分らないでしょうから、「唐臼」でググってみて下さい)。
 臼は地面に固定されていてその中に陶器用の粘土が入っています。杵をシーソーのような機構の一方につけ、杵が落下すればて臼の中の粘土をつくようになっているのですが、杵を持ち上げる・落とすのを人力でやらず水力を利用してやっているのが特徴。だから「鹿威し」です。この唐臼(屋外の複数個所に点在)の音が里中(さとじゅう)に響いているのが「小鹿田」で最も印象に残りました。
 山道200mに9戸の陶工が暮らす集落には工房(小さいながら登窯もありました)と展示即売場が密集、波佐見焼ほどデザイン多様ではないのは伝統保持の証で「鹿威し」ならぬ唐臼が文字通り雄弁に「語る」通りですね。それでも戸毎に少しずつ異なる意匠や用途を吟味しつつ、私の普段遣いとHさん・事務嬢さんへのお土産等々を購入。
 事前に観光協会に問い合わせたら皿山での観光・買い物は1時間もあればとのことでしたが、どっこい「池ノ鶴」地区と合わせれば2時間でも厳しかったです。帰りは、皿山バス停まで事前の予約でタクシーを呼んでおきました。これで一気に日田は豆田まで走ってもらいます。

 8/3は「自粛御膳」をお休み、豆田「日田まぶし千屋」にて読書独酌(14時半~16時半)。
 湯引き・骨せんべい・日田まぶし。
 398蔵目・大分「角の井」(芳醇清酒)。
 福岡K市に帰っても店が開いてないなら(開いてても酒が出せないというなら)、日田で飲みまで済ませて旅を仕舞うのが旅行先の土地と自分自身とへの礼儀。飲んで電車に揺られるのはちょっと不安なので気を張って電車座席に。帰宅後は、入浴と荷解きとを済ませたら、軽めのおつまみを「波佐見焼 vs 小鹿田焼」のプレートに並べて小さな二次会。

 楽しい1泊2日で御座いました、明日は働きます(先ずは、旅行中の読書から校内模試を作ります)。