なのに気がつけば不思議 DeJa Vu それとも偶然

 先日、小料理屋「U」のカウンターで飲んでたら英語パイセンが「一生に一度は藤山直美が観たい」と仰ったので、その場で7/5(水)の博多座『泣いたらあかん』を2枚購入。後で後でと思っていたら手遅れになっていまうかも知れません。第2回定期テスト中なので丁度良い間拍子、私も藤山直美は初めてなので楽しみです。

 綿野マイコ『かわいすぎる人よ!(1)』読了、★★★★。嘗てやんちゃをやっていた叔父さん(美形)と、無垢で繊細な姪っ子(平凡)との穏やかな毎日。叔父さんの嘗てのやんちゃ仲間(美形)をも更生(反省)させる叔父さん・姪っ子の全うさ。極めて「今っぽい」作品ですね。

 朝から書斎で添削。ひたすら赤ペン・青ペン(時々修正テープ)を持ちかえながらガシガシ、ガシガシ。88年鈴木忠志、難問です。ただ、やっておくと後々のためになる。例えば、自らの背中を見ることが出来ない身体疎外については05年文系、小池昌代「背・背なか・背後」で再び出会うことになります。「弁証法的ダイナミズム」と本文で言われている論理は、84年の西部邁『経済倫理学序説』や91年の粟津則雄『日本洋画22人の闘い』などで出会う。「●●と●●学(論)とは次元が違う」という事実の理解が問われるのは、84年の西部邁、07年の浅沼圭司『書物について』、08年の邦一『反歴史論』、等々。
 84年の西部邁と88年の鈴木忠志とは、「●●と●●学との違い」「正反の化合で新文体を煉る知的緊張」をそのまま設問にしている点で、前者社会科学・後者演劇というテーマの違いはありますが「同じ問題」です。大学時代、東大現代文に関して某友人から「同じ文章が出るわけでもないのに、過去問をアホみたいに解くのって無駄じゃない?」と言われたことがあります。その時は返し方がよく分からなかったんですけれども、今だったら「同じ文章、同じ問題、出るよ」と一言返せばいいと知っています。

 13時に東大を終え、そのまま京大に移行。こちらは、2~3時間もあれば終わるので気楽です……が、全5題中3題(記述問題3題を20人分)の添削が終わった時点で私のスイッチが切れてしまいました。と、いうわけで。
 京大特講添削を1時間ほど残し、続きは未明の私に任せてリビングでかしゃぷしゅ~。イカ納豆(イカそうめん・胡瓜薄切り・茗荷千切り・納豆・ワサビ・海苔)を作ったところで冷蔵庫は空っぽ、それ以外の肴は全てセブンイレブンの「カップデリ」(好き)でまかないました。よしながふみきのう何食べた?(21)』を片手にして至福。なんですけれども、自炊開始以降、作品の読み方(見え方)が大きく変わってしまった(というか、増えた)のには我が事ながら驚きです。