文明開化の音がする 書生書生と軽蔑するな

 山内志朗『自分探しの倫理学』読了、★★★。「自分探し」という言葉が嫌いだという筆者による自分探し考。反「自分探し」派というのも共感できるし、寄せては返すの文体も(筆者自身の自嘲とは逆に)嫌いではなかったのですが、イマイチ中身に乗り切れなかったのは偏に私が『新世紀エヴァンゲリオン』(の、音楽以外)に興味をもっておらず、ストーリーや筆者の注目する台詞やの出自を一切知らないから。我ながら、よく読もうと思ったもんだ。
 善本喜一郎『東京タイムスリップ1984⇔2021』読了、★★★★★。新宿渋谷他、40年前と現在との同アングルが顕す街場の不易流行、これは傑作。ただ、この素晴らしい仕事が、コロナ禍で街が無人になったからこそ可能になったのだと思うと複雑です(1年半足を踏み入れていない、遠い東京を思いつつ読みました)。

 旅行中に溜まっていたメールの中に、生徒からのハッピー厄年のメッセージが幾つかあったので返信を。やりとり抜粋。
 生徒「以前美術室で何年か前の卒業アルバムを発見し、先生の茶髪の写真を見て衝撃を受けました。売れないバンドでベース弾いてそうな髪型、という印象で、男子校時代にこういう先生がいたらそれはいじられるよなあ……と思ってしまいました。それで気になったのですが、黒髪に戻されたのはいつ頃だったんでしょうか? 又なにか心境の変化があったのでしょうか?」
 教員「卒業アルバムの中の私、それは茶髪ではなく黒髪です。大学時代は染めていましたが、就職後は黒一色なので、光の加減かなにかかと(職員室には、女性は染めて良い、男性はNGという、無意識の差別が働いています)。長かったのは大学時代の名残で間違いないですが、やがて(縮毛矯正が)面倒になって切りました。バンド……は楽器音痴なので言われるとこそばゆいです(楽器演奏が出来る人には憧れます)。自分の写真は一切見ないので想像でしかありませんが、古くはアジカン、新しくは(新しくもないけど)フレデリックみたいな、ちょっと捻くれた文系・文化系ロック(私は「書生ロック」と呼んでいます)路線のアマチュアの、中でも全く目立たないベーシストみたいな感じだったんですかね」
 生徒「先生らしいお返事を頂いてとても喜んでおります。黒髪だったんですね! 完全に茶髪だと思い込んでました汗 私の感想は褒めたつもりだったのですがきちんと伝わっていたようで安心しました」

 通常出勤。事務嬢さん、同窓同僚数学(のお嬢様お二人)へのお土産を渡し、欠勤中に溜まっていた(自主提出の過去問の)添削を消化。その後、進路指導室から退勤なさった元教諭の皆様に毎年お送りしているお手紙(で、恒例になっている)の冒頭を飾る俳句を選定するという仕事。今年は読書をテーマに考えて、「一日の春の嵐の読書かな(上野泰)」か「木蓮や読書の窓の外側に(子規)」かなぁと思っていたら、事務嬢さん・同窓同僚数学の二人が揃って「お手紙の句に『嵐』はちょっと」と意見が一致し、消去法で子規に決まりました。

 午前中で業務を終えて退勤、そのまま西鉄K駅へ行き、昼食(昼酒ではなくて、昼食)にカレーを食べ、ネカフェで仕事・書き物をして、スーパー他で食材等々を買い込んでから帰宅。
 料理を幾つか。先ずは胡瓜と大葉とを「美味酢」に漬ける、続いて砂糖と一緒に一度湧かした「かんたん酢」で茗荷の酢漬けを。冷や汁も作って、買ってきた胡瓜(3本)・茗荷(3本)・大葉(5枚)は全て消費。
 酢漬け用にピーラーで縦長に剥いた胡瓜の皮が8本(酢漬けの2本分)、包丁で真ん中から2つに割ったら16本。これを捨てずに、味の素・塩・胡麻油で和える。それに白胡麻をかけたら小鉢の1種に……なるかいなそんなもんが、と思ったらこれがなる。但し、波佐見焼の器に入れたら。

 8/11の「自粛御膳」。
 冷汁(汁のみ)・刺身3点・茄子みぞれ・小鉢8種。
 407蔵目・山口「無量」(特別純米)。
 買付旅行の果て、遂にほぼ全てがちゃんとした(し過ぎた)器になってしまいました。
 ①波佐見焼(箸置き・冷汁・ポテサラ・卵焼き・メンマ・胡瓜皮和え物)
 ②小鹿田焼(茗荷酢漬け・らっきょう・もずく酢)
 ③萩焼(刺身3点・茄子みぞれ)
 ④京焼「今宵堂」(生姜奴・刺身醤油・日本酒酒器)
 コースターは日田土産の『進撃の巨人』グッズ。箸は56回生Iくん、ビールタンブラーは同回生Mくんの結婚式引き出物でどちらも上質。分不相応が極まりました。中身が大したことがなくても、器が良いと酒欲がぶち上がります(明日も出勤なのに!)。こういう「並び」を出来るようになるまでに、「足」と「お足」とは使ってます。

龍宮みたいに浮かんでる

 『高校生クイズ』の全国大会オンライン1回戦を、F高1年生チームが勝ち抜き、週末に東京で行われる2回戦に出場との連絡が届きました(ここから先の展開は、以降内緒にします)。メンバー全員が外進A組で私との(授業その他での)関わりが無いこともあり、引率は担任の体育先生が行って下さいます。コロナ禍で不自由もあるでしょうが、目一杯楽しんで欲しく……
 ……ではありますが、不安の種も。最近、割と好意的な意味で使われているのをよく見かけるようになった「わちゃわちゃ」という言葉ですが、これ、コロナ禍の中では絶対にNGの行為です。だから、それらをそのまま仕事にしているようなひな壇芸人だとか大所帯アイドルというのは、今は画面で観るだけでも正直苦しい(番組自体がというよりも、楽屋舞台袖を想像してしまって)。ふと気になってニュースを探ると、感染者、結構出てますよね。それらの人々の出演が多いだろう『高校生クイズ』収録、やっぱり少し心配。生徒が絡むと、偏見が出ますね。

 さて、温泉旅館独り旅1泊2日、2日目。
 早朝に起床、6時の入浴。館内には浴場が2箇所あって、前日夜と今朝とで男女が入れ替わるというよくある形式。昨日のお風呂場は大変広い浴槽を備えていましたが、今朝のお風呂場は小ぢんまり。お湯は良いです。
 朝食は昨日の明るい仲居さんがお運びを。お味噌汁が具沢山で嬉しかったです(お櫃のご飯は、頑張ってお茶碗2膳、それでも残ってしまいました)。食後は、直ぐにチェックアウト。タクシーを呼んでもらい、20分ほど走ると仙崎に到着します。

 本日は、半日かけて仙崎の町を観光します。タクシーが到着したのは仙崎の道の駅「センザキッチン」。海沿いの施設の一角に乗り場のある、青海島観光クルーズを体験するのが本日のスタートです。本来なら90分かけて島を一周するそうなのですが、今日は台風の影響が残り外海が荒れている(船、めちゃめちゃ揺れました)ので1/4周で折り返す50分のルート(洞門を船で潜る経験ができずにちょっと残念)。それでも、波飛沫越しに奇壁を眺め渡す体験はなかなかに刺戟的でした。
 次いで、仙崎駅まで歩いて移動。構内には、かまぼこ板を使った金子みすゞアートや、ご当地出身の作詞家・大津あきらに関する展示などがあってちょっとした時間潰しが出来ます。男闘呼組「TIME ZONE」、杉山清貴さよならのオーシャン」、高橋真梨子「for you…」、徳永英明「輝きながら…」、中村雅俊「心の色」等々の手書きの歌詞、お好きな人にはたまらないはずです。
 更に、先ほどの観光クルーズでは下を潜った青海橋を歩いて渡って青海島の王子山公園へ。高台からは仙崎一望、金子みすゞが「龍宮みたいに浮かんでる」と詠った風景を眺めました。

 仙崎は金子みすゞの町、町中(まちじゅう)の至る所に作品を書いた掲示板、かまぼこ板アート、銅像、等々が。「金子みすゞ記念館」には、彼女の生家の再現家屋、及びその資料を展示した記念館本館の2つがあり、私は前者の中に展示されていた実弟・上山雅輔(演劇界の大物)の資料・一生に惹きつけられました。本館では、彼女の素朴且つ美しい詩を巡ったり、詳しい年表を追ったり。金子みすゞがもし結婚に失敗していなかったら(夫は、彼女が詩を作ることや詩壇と文通することを禁じるというDVを働きました)、というのは詮無い想像ですが、彼女の短い一生を見るにつれそう考えずにはいられません。
 その他、町中散策。仙崎には金子みすゞの「詩碑」だけではなく何箇所かに大津あきらの「詞碑」があったのですが、小学校近くの海水浴場の傍には中村雅俊「心の色」のものが。一応写真に収めたんですが、撮ってる横で全裸の青年3人が水遊びではしゃいでて気まずい気まずい。

 炎天下の徒歩移動は、途中で喫茶店でのアイスコーヒーを挟んだものの滝のような汗を誘発。ペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら。大きな荷物は最初の青海島クルーズ乗り場のコインランドリーに入れています(帰りの乗り合いタクシーはセンザキッチン発)。という訳で、9時半のクルーズから始まった仙崎町観光、再びセンザキッチンに戻ってきたのは13時過ぎ。乗り合いタクシー出発までは2時間半あったのですが、ぶっちゃけここはちょっと暇でした。
 家族連れを中心に滅茶苦茶な人出で、正直「密」を考えるとフードコートに座る等は憚られます。結局、特産品売り場をず~っとぐるぐるぐるぐるしながら、Hさんや事務嬢さん、そして自分用のお土産を何にするかを悩み続けるという、あまり建設的ではない時間を過ごして終わってしまいました。

 昨日もお世話になったタクシーの運転手さんに2000円を払って、センザキッチンから新山口駅までのタクシー所要時間は90分。乗り合いのお客さんはお一人だけでした(途中の長門湯本から乗って来られました)。90分間は、もっぱら音楽を聴きながら流れていく景色をぼ~っと見ているだけ(寝落ちはしませんでした)。新山口駅には16時55分着、その5分後に、福岡のお店では許されていない種類提供が許されているとあるお店が開店することを、事前に調べています(店は駅から徒歩1分)。

 8/10も「自粛御膳」をお休み、新山口の回転寿司「タカクラ」にて、福岡では出来ないお店での読書独酌をば。
 あん肝・茶碗蒸しイクラ乗せ・刺身3点・寿司7皿。
 405蔵目・山口「原田」(特別純米酒)。
 406蔵目・山口「村重」(純米吟醸)。

 ちゃっかり「日本酒チャレンジ」も進めて90分弱で退店。行きと違って乗り換え無、「さくら」でK市まで1時間弱の新幹線、K駅からタクシーで帰宅をした後、お風呂に入りなおしてから就寝。
 楽しい旅路でございました。

そして孤独を 包み込むように

 本日から1泊2日で山口は長門湯本温泉に旅行。
 いつの間にこんなに温泉が好きな人間になったんでしょう。東京以外の旅行には全く興味が無かった私です(東京行きも、買い物と飲み会と展覧会とだけが目的でした)が、年1回の(入試業務最終日の)超ベテラン体育先生とのドライブ1泊2日(温泉とご当地名物料理とを堪能)を10年続ける内に近場の温泉旅行に身体が馴染んで行き、コロナ禍で東京に行けなくなったのの反動でそこかしこを跳び回るようになりました。

 7時台にK市を出発する新幹線、博多で乗り換えて更に1時間で新山口駅(追い越しの待ち合わせなど、駅に停車している時間が長い新幹線でした)。台風のニュースは聞いていましたが、果たして新山口駅での白板連絡で、在来線が全てストップしている(昼過ぎに解除)ことを知りました。曇天ながら雨も風も無かったので意外。
 ただ、私は偶然にも新山口から長門湯本温泉までを電車移動ではなく乗り合いタクシー移動と決め事前に予約しておいたので全く問題は無く。助手席含め8人が乗れるワゴン車は、新山口駅から1時間程で長門湯本温泉の駐車場に到着します。揺れも無く快適。乗り合った乗客は地元の女性(人生のベテラン)お一人で、かかった料金は片道2000円です。

 杖立温泉と同じく、この長門湯本温泉も街の中央を川(音信川、おとずれがわ)が流れていて、その両側に建物が並ぶという構造(杖立ほどの細路地蜘蛛の巣迷路ではありませんが)。
 先ずは、街の中央部にある立ち寄り湯「恩湯(おんとう)」へ。昨春改修再オープンされたという木造平屋造り(全面ガラス張り)のお洒落な建物、入湯料は800円で、タオルとバスタオルとはオリジナルの物を買い取り。10時半の時点で男湯貸切でした。住吉神社と一体化した浴室、深さ1mの浴槽には39℃弱のぬるめのお湯が源泉掛け流し、浴槽に立ち湯(?)すれば、岩盤から源泉が湧き出している様を眺めることが出来るのです(住吉大明神を祀る社を兼ねている場所なので注連縄で囲われています)。これは魅力的、とろりんとしたお湯の中につい長居を。入浴後の休憩スペースも広々として快適(250円のラムネを飲みました)。

 入浴中から、断続的に雨が降り始めました。以降、基本的に傘をさしての移動になります。
 11時。お昼は瓦蕎麦の店「柳屋」。入店時に検温、住所連絡先その他を記入。瓦蕎麦1人前、セットの米はつけず、代わりに地ビールを1本(何せ、酒類提供禁止の福岡を見限ってやって来たんですから)。
 12時。郊外の深川に萩焼の窯元が5軒。その中で、唯一窯のホームページを持っていた「田原陶兵衛工房」へ。日本庭園、工房と直売所。十三代目・田原陶兵衛氏の作品は値段の桁が一つ違っていてとてもとても手が出ませんでしたが、売り場担当の奥様のご案内で、工房の職人さんの作品(いちばん安い)、及び十三代目の息子さん(田原崇雄さん。将来の十四代目?)の作品(そこそこ高い)を幾つか購入。豆皿、八寸用の料理も置ける御猪口他、自分用と事務嬢さんへのお土産用。崇雄さんの手による御猪口(一目惚れ)は専用の桐箱に入って6000円でした。そうしたら、工房にいらした崇雄さんにもお目にかかれた上に、十三代目自らが登窯を案内して下さるという僥倖にも。焼き方の詳しい説明を伺いながら、写真をばしゃばしゃ撮りました。
 到着後僅か2時間程度で、既に来た甲斐を感じまくりです。

 13時過ぎに、宿泊の予約をしていた「原田屋旅館」へ。チェックインは15時なのでまだですが、手荷物や購入品が多く雨も降っていたので、フロントで預かってもらえるようお願いしました(部屋まで運んで下さいました)。明治創業の「ザ・旅館」! という感じの施設で、入口に「××様ご一行」の手書きボード。「池ノ都様」も勿論書かれていて、どうやら本日の宿泊客は4組の様子。

 旅館から15分ほど歩いて、街外れの大寧寺へ。大内氏滅亡の地として知られる曹洞宗の古刹は庭園がとにかく立派。雨の中、大内氏・家臣の墓や、山口三大奇矯の一つ「岩盤橋」(江戸期、石を積み上げて作っただけの橋で、雨もあって渡るのがかなり怖いです)などを観ながら1時間のそぞろ歩き。
 稲荷もあり、こちらではお詣りの後で合格祈願の鉛筆(五角形なのは「あるある」ですね)や、同窓同僚数学へのお土産(お嬢様お二人への「女の子御守」)を購入。敷地内のおキツネ様はみなマスクをしていて可愛かったですが、吊り目が布マスクというのはどうしても『変態仮面』を連想してしまいます。

 14時、お土産ショップ「おとずれ堂」で買い物をしたら、併設のギャラリーで「次世代の陶」と題された小さな展示会が。萩焼の窯元の、40歳前後の「次世代」が5人集まって活動をしており、中には先程訪れた工房の田原崇雄氏(私より1歳下)も。ご縁ですね。先程実際に工房を訪ねたお話をきっかけにギャラリーのご主人と話が弾み、萩焼の作品の保存の仕方(使い方・洗い方・乾かし方)のアドバイスも頂けました。先程の直売所には売られていませんでしたが、藝大彫刻出身の崇雄氏には、持ち手の部分が工具になっている変わった意匠のぐい飲み・マグカップ等があるそうです(フラグ)。

 15時、再び「恩湯」に浸かって汗(雨?)を洗い流し、15時半過ぎに宿にチェックイン。
 100年レベルの老舗旅館、ロビーのマッサージ器(古い!)やジュークボックス(70年代!)を見るだけでその年季が分かります。アメニティは僅かに歯ブラシのみで部屋には冷蔵庫もなく(ロビーに共用のものがあり)、隣の部屋の話し声がうっすらと聞こえるような壁(TVを点けるのも憚られますが元よりそのつもりはありませんので無問題)。冷房は確りきいてて、トイレは洋式・ウォシュレット付きの最新型でした。この、畳6畳の居心地が良い。風呂場は古さを感じさせる待場の温泉感(「恩湯」のモダンさとの対比!)でしたが、お湯はぬるめのとろっとろ。後述の食事は、豪華ながら家庭的で文句なしです(夕食・朝食とも)。

 夕方、食事前に旅館をふらりと出て(雨は上がっています)、地元の未踏破の蔵のお酒を買うべく近所の酒屋に行った帰り、道すがらのカフェ「音」に何となく立ち寄ったら、陶器の販売ギャラリーが併設されていてまたまた田原崇雄さんの作品群と出会う。これはもう、御縁以外の何物でも。
 自家製の(相当生姜のきいた)ジンジャーエールが出来上がるのを待っている間に展示を見て、先程「おとずれ堂」で聞いたばかりの持ち手が工具になっているぐい飲みが目に飛び込んできた瞬間、値段を見ずに購入を即決しました。実際には、決めた直後に値札が視界に入って1分悩みましたが(工房で買った御猪口より高いです)、これを厄年の自分への誕生日プレゼントにすることに。

 8/9は「自粛御膳」をお休み、滞在先の長門湯本温泉「原田屋旅館」の部屋食。
 御飯・前菜3種・河豚刺・刺盛り・茶碗蒸し・茄子田楽・天麩羅・貝鍋・フルーツ。
 403蔵目・山口「山頭火」(本醸造)。
 404蔵目・山口「かほり」(純米吟醸)。

 食事と寝具とを担当して下さった仲居さんがめちゃめちゃ明るい方でした。良い感じに酔っ払ったところでお布団まで敷いて下さるのに思わず「我が世の春だ」と呟いたら大笑い。「こんなんで春だなんて、お客さんお一人様ですか?」「死にに来たわけじゃないんでご安心を」 また大笑い。一人客を泊めさせてくれる旅館、そうは多くないんですよねぇ。

 健康睡眠。

枯葉散る 白いテラスの 午後三時

 福岡県の緊急事態宣言要請は黙殺されているようですが、県は独自に教育現場に「特別活動・部活動の中止」を通達してきました。ということは、9月上旬・中旬の土曜日に2週連続で行われる高校体育祭・中学体育大会の、夏休み期間8月中の準備(装飾・演舞練習)が全て不可能になります。それに伴い、考えられる展開は2つ。
 ①体育祭・体育大会は予定通り行い、装飾・応援団チアについては諦める(プログラムから削除するか、極めて短い準備期間のものを無理矢理に本番でやらせる)。
 ②準備期間を確保するために、体育祭・体育大会を延期する。
 ①の場合は9月1日以降の(極めて短い)準備期間が地獄でしょうし本番も不完全燃焼でしょう、②の場合は9月以降の行事・カリキュラムに大きな影響が出て(主に各学年団の先生方が)苦労なさるでしょう。勿論、②の場合は既に配布している9月前半の時間割変更案(体育祭・体育大会の準備の影響で2週間の間は時間割変更ではなくて事実上新しい時間割を作る形でした)は反故になり、一から作り直す必要が出てきます(夏休みだから時間はあります。ラッキー!)。さぁ、どっちになるでしょう。

 私の中では、子どもと居酒屋とに犠牲を強いるのは2大タブーです。
 とまぁ、福岡県は7年前に東京都と五輪招致を争って敗れた地で、それを考えたら福岡県(のK市)現状は「まだマシ」なのかも知れません。東京の現状、推して知るべし(何度でも繰り返しますが、私は五輪を観ません)。

 さて、誕生日、厄年初日。大雨の予報ですが今日は一日屋内、自宅徒歩1分の圏内を出ませんので無問題(方々の地の被害は心配ですが)。今日から3日間は命の洗濯じゃぶじゃぶ。初日はHさん家で14時から飲み会。これも、本来ならどこかの店でやるところなんですが(例えば懐石「G」のランチとか)、今、居酒屋、犠牲を強いられていますから。

 8/8は「自粛御膳」お呼ばれ編@Hさん家、で私とジュニア氏との合同お誕生日会、の名目で3人飲み。
 市内の有名な肉屋「N」の鉢盛りにお刺身にと豪華なお食事。私はビール・日本酒を差し入れて、ジュニア氏には芋焼酎の詰め合わせを誕プレに。14時から4時間飲んで寝て起きたら日付が変わっていました。
 402蔵目・三重「田光」(純米吟醸 出羽燦々 無濾過生酒)。

あしたこそ、あなた

 10時に入った自宅近所のカフェでトムヤムクンフォーとアイス珈琲と(朝昼兼用の食事)。読書は川添愛『言語学バーリ・トゥード』で、筆者について一切の情報を持たずに読み始めたら、面白くてするする~っと読めたんですが、かなり後ろに辿り着くまで筆者を男性だとばかり思い込んでいたことを、割とガチめに反省しています。★★★★★。

 徒歩で学校入り(Tシャツ汗達磨、職員室で直ぐに着替えました。タオルと着替え用のシャツとはこの時期の必携)、添削その他の仕事。今日はどこかの予備校で模試が行われているということで、生徒は殆ど登校していません。ということで、仕事は3時間弱のみ。

 学校をタクシーで出て西鉄K駅に。特急と各駅停車とを乗り継いで「雑餉隈」駅へ。そこから徒歩で15分程歩けば、三筑「とどろき酒店」に到着します。前回はHさんの車で送って貰った店に、今日は自力で行ってきました。
 明日、そのHさん家で私(41歳本厄に突入)とHさんジュニア氏との誕生日に託けた3人飲み会をやるんですが、ジュニア氏への誕プレを買おうと思ったら、丁度「とどろき」が大好きな「今宵堂」(京焼)の酒器祭りをやっているということで。
 誕プレには芋焼酎2本(箱入り)、自分用に芋焼酎1本と日本酒(未踏破の蔵の酒)3本、「今宵堂」のコロ茶碗と平盃とも購入。この酒屋には(酒に因んだ)本も並んでいるのですが、丁度関西数学先生がプッシュなさっていた姜尚美『京都の中華』が売られていたのでそれも購入。

 8/7の「自粛御膳」。
 鯛アラ大根煮付け・酢モツ・小鉢11種。
 401蔵目・鹿児島「天賦」(純米酒)。芋焼酎富乃宝山」等で知られる西酒造が日本酒造りにも進出。

 40歳最後の日(明日から厄年!)の独酌読書で「異世界転生」とは何ぞやということを勉強しようと思い購入、上山道郎『悪役令嬢転生おじさん(1・2)』読了、★★★★。絵にちょっと抵抗(違和感)があったのが正直なところですが、善人だらけのギャグというのには好感(令和ですね)。

 ということで、明日は厄年誕生日、K市の「第二の我が家」で宴会。丁度その日は東京で「第2回 変異株主総会」が行われるということで、その後のTVは数日間「総集編」なんでしょうね。それなら私は脱メディア、9日からは1泊2日の山口独り旅です。

グレイのフラノは 季節はずれの 男の服

 太田省一『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』読了、★★★。お笑い第七世代というのを一度も観たことがないので、勉強だと思って買いました(いや、TV観りゃ良いんでしょうけど)。
 つきづきよし『僕が夫に出会うまで』読了、★★★。

 早朝から10時半までは書斎で仕事(宅急便を受け取り)。徒歩通勤の道すがらでラーメンの昼食。学校では自由提出の添削をガシガシやって、13時に気象大学校、15時に慶應大学、の小論文添削面談。
 高3女子お二人から、少し早い誕生日プレゼントということで、ナッツの詰め合わせと扇子とをそれぞれ頂きました。有難う御座います。前者は「お酒を飲まないから……」と自信なさげなご様子でしたがマジで摘まみになる良いやつですし、扇子の方は黒一色のメッチャ格好いいやつで私の普段着や挙措の方がこれに釣り合う自信がないです(今度、教え子の結婚式に出る時の正装なら大丈夫かなぁ)。

 昨日の焼き浸しに添える大根おろし、自分でやるのは初めてです。烏賊素麺と帆立ボイルとを買っていたので、これはカイワレを入れてコチュジャンソースで和えます。御飯を炊いて「大人のふりかけ」を添えました。2合分炊きましたが、自分で食べるのはこの1回だけ、後は冷凍保存をしてお供えに使います。

 8/6の「自粛御膳」。
 ふりかけ御飯・烏賊帆立コチュジャン和え・牛肉野菜焼き浸し・冷製キャロットスープ・小鉢7種。
 400蔵目・滋賀「一博」(純米 うすにごり 生酒)。

時間が まだ早い

 20年以上好きな歌の歌詞の中に登場しているのに、売っている店に入ったことがないので食べたことがない、どころかそもそもどんな料理なのか知らなかった「エッグ・ベネディクト」が食べられるカフェがK市の六ツ門近くにあるということを知り、朝の9時から入店。
 六ツ門のカフェ「N」、店名からオーストラリアに関係しているということが知れます。打ちっぱなし基調の広々とした店内、シンプルな調度にお洒落な食器、年若いご夫婦で切り盛り。丁度私が入店した朝9時から食べられるエッグ・デネディクトを注文。マフィンの上にハム・ベーコン、ポーチドエッグの上からオランデーズソース。800円。パンもソースも卵も美味で、苦手のハム・ベーコンが気になりません(黄身が溢れて、食べるのがちょっと難しいけれど)。大きなマシンから注がれるコーヒー、食後にお代わり。
 昨日作った校内模試の本文・問題を熟読しながら、解答の文言を頭の中で構想。身体と脳とにエネルギーを、と思って初入店したお店のモーニングが美味しかったので、精々良い解答を練らなければなりません。「N」はまた行きたいお店、欠点は1つだけで、折角お洒落なグラスにお洒落なピッチャーから注がれるのに水が美味しくなかった(他の料理が美味しかったのでお冷やの臭いが気になりました。贅沢なイチャモンです)。

 西鉄K駅まで歩いて書店を覗き、バスで学校入り。添削その他の仕事。
 第1回校内模試の評論に、伊藤亜紗『手の倫理』の一節を出したら、私の採った箇所の続きにあたる部分が某予備校の京大模試に使われていたという話は先日書きました。更に加えて、高3某くんから今度は私の採った箇所と全く同じ箇所が某予備校の共通テスト(←名称嫌)模試に使われていたと聞きました。「別に嬉しくないでしょうが」という前置きがついていたのに思わず微苦笑。血気盛んな(?)若い頃だったら拘りの「ドヤ問」を作りたい思いから「嬉しくない」という反応だったでしょうけど、今はどっちかと言えば「あ、やっぱり?」ってちょっと嬉しくなっちゃいます。同志発見。「っぽい」文章は、多少入試国語に関わった人間が目にしたら誰もが自然に傍線部を施してしまうもんなんです……っつっても、先に出されたら「あ~、やられた~!」と悔しがるでしょうけど。

 夕方前に学校を出て、学校近くのスーパーマーケットで食料品の買い出し。荷物が多いのでタクシーを手配して帰宅。この食材を使うのは明日以降です。食材と(セラーの中に入りきらない)日本酒の瓶とで冷蔵庫はぱんぱん。
 台所で(明日用の)料理を1品。っつっても、適当に切った「ナス→アスパラガス→ズッキーニ→牛肉」を油で炒めたら、麺汁とお酢とを1:1で割った出汁に漬けておくだけ(焼き浸しです)。

 8/5も「自粛御膳」をお休み、懐石「G」にHさん及びそのお友達と。
 今月の逸品は椀物(無花果・鮑)と焼物(鮎)と。本日からK市(福岡県の都市圏)は酒類提供不可、故の物足りなさはありましたが、味をしっかり覚えてから帰宅後に(記憶を肴に)ビールと日本酒と。Hさんのお友達(定期的に飲み会をする人生の大ベテラン勢)は初対面の方も数名でしたが、若輩を可愛がって頂いて恐縮でした。
 明日明後日は自炊ですが、夏休み中は夕方の特講・未明の添削が無いので、生活リズムを圧迫されないのが救いです。

言葉が崩れていく たましい まあるい まわっている バッカスがやって来て

 10月にニューアルバム『心理』が発売されるという嬉しいニュースを知り、久しぶりに折坂悠太氏の情報を漁ったら、折坂氏がTwitterで遂にぶち切れておられ。デビュー直後は(直接は語らず)作品を通じてというスタンスをインタビューで語っておられましたが、その後の3年で事態は悪化し過ぎました(コロナと五輪とのダブルパンチがそれを加速させ且つ誰にでもそうと分かる形で露呈させました)。という訳で、思わず、知り合いでもないのに「いいね」を押してしまうなど(鍵垢なんですけどね)。

 定時の8時半に事務嬢さんへのお土産を持って出勤、旅行中の読書から校内模試を作成します(先ずは、本文のタイピングからですね)。タイピングを終えたら、印刷をしてタイプミスを探し、字数をカウントして(3000字~4000字で収まるのが理想)、漢字の問題を作成。漢字は、出来れば本文中のその他の場所には登場しないものを選びたいので、自分で本文をタイピングしてその記憶が残っている内に出題内容を決めるんですね(だからこれが最初の作業になります)。その後、決めておいた箇所に傍線部を施し記述の問題を作成。改めて問題文全体を見直して、語注が必要な語があればそれを作成するところまでで一段落です。何だかんだで、これだけでも2~3時間程度はかかります。

 模試作成くらいしか仕事は無いんじゃないかなぁ、と思って職員室に来たのですが、夏の自習用に配布した過去問がやたらたくさん(東大京大の配布過去問だけでなく、慶應大気象大の自主的解答小論文も)提出されており、何故だとフロアの様子を伺ったら、今夏の高3、なんと50人くらい登校自習をしてました。なんて数! と慌てて添削提出・返却用のBOXを自作して高3フロア(A組廊下のロッカーの上)に設置。例年は冬に営業開始の「添削堂」、今年度は4ヶ月早いOPENです。
 その後、添削をガシガシ。基本的には、提出された答案はその翌(営業)日までに返します。但し、小論文の場合は単に返却するだけではなくその内容を踏まえた面談を行う必要がありますので別途アポイントを取ってから添削を始めます。

 14時半に仕事を終えて帰宅、入浴後に着替えてタクシーで自宅を出発。今日は、酒類提供停止要請への移行期間最終日で、福岡県下(の都市圏で、K市も含まれます)の店の中でお酒が飲めるこの夏最後の日です。行かいでか、飲まいでか。

 8/4も「自粛御膳」をお休み、焼鳥「Y」にて読書独酌。
 豆腐サラダ(小)・串10本。
 399蔵目・石川「竹葉」(能登純米 山田錦)。

寂しい時は 一人で歩こう

 4時過ぎに起床。この時点で大浴場は勿論閉まっている訳ですが、部屋風呂なら何時入っても無問題、総檜が私を待っています……んですけれども、流石に一晩経ったらお湯がだいぶぬるくなっていたので、先ずは昨日と逆、お湯(温泉)を足しながら「湯かき棒」で全体をかき混ぜるという作業を暫く(これが結構な労働で汗をかくんですけれどもその後で風呂に入るわけですから勿論無問題)。4時半過ぎには入れるようになったので、先ずはシャワーで身体を洗ってからざぶり。目隠しの隙間から見える外の風景は、最初は未明でしたがゆったりお湯につかっている内に段々と白んで来ました。自宅マンションを購入する前はよく「Joyful」で特講の添削をしながら空が白んでくるのを眺めていましたが、あれの「悲壮感」とは全然違いますね。しゃ~わせ。

 6時前のフロントは勿論無人で、だからと言って玄関に置かれている宿の下駄は長歩きにはふさわしくなさそうなので、勝手に靴置き場を漁って自分の靴を取り出しました。昨日のゲリラ豪雨にやられた靴は、旅館の方が新聞紙を詰めておいて下さったおかげで殆ど乾いています(少なくとも、履いて歩くのに不快ではない程度に)。
 杖立を6時前の散歩、神宮と薬師堂とがあることは調べていたので、そこで仕事運・疫病回避・70回生合格等々を図々しく祈願しようと思ったのですね。聖地ならどれだけ早い時間に行っても大丈夫でしょうから、感染対策として人が少ない時間を選ぼうとしたらこの時間になりました。30分ほどで帰れるかな……と思っていたら、迷路好きの好奇心を擽る町構造に誘われて90分超の小冒険になってしまいましたので、以下その顛末。

 今泊まっている「ふくみ山荘」1泊のお値段は、これまで自分のお金を出して泊まった宿泊施設の中では最高額レベルなんですね(他人から出して貰ったのになら、56回生Mくんの結婚式の時に手配された恵比寿「ウェスティン」等があります)。ところが、その山荘の入り口に向かう道が大通りどころか川沿いの小道を折れた細い細い路地(民家と民家との隙間で、開いた窓から生活音や住人の声が普通に聞こえます)しかないんです。隠れ家宿にも程がある(昨日は、豪雨もあって、中々入り口が分かりませんでした)。
 高級宿への道すら例外ではなく、杖立という地は、町全体が細い細い路地の張り巡らされた蜘蛛の巣迷路になっています。路地は途中で幾つもに分岐し、坂道階段の上下を繰り返しながら幾度も折れ歩いている内に方向感覚が無くなってきます。しかも、どこを歩いても「どん詰まり」が無くどこかがどこかには繋がっているので、油断をすると同じところをぐるぐる回ることになる。行き止まり無き階段路地ぐるぐる、これは地図無きエトランゼにとってはリアル『ドラゴンクエスト』感で、アラフォーなら分かるかしら、ルラフェンとかエルヘブンとかよりもずっと複雑でした。

 真ん中を大きな川が流れる杖立は橋の町でもあります。川を渡るための3本の大きな橋にはそれぞれ地蔵様が祀られており、どうせなら3本とも渡ろうとした私はそれぞれに祀られている「子育地蔵」「健康地蔵」「恋愛地蔵」にご挨拶をしてから写真をパシャリと……撮ったんですけれども、3枚の内なぜか「恋愛地蔵」だけはピンボケてちゃんと写っては下さいませんでした。「元気」に「教員」をやれているだけで良しとするしかないんでしょうかね。
 その3本の内の最下流域にかかっている「さくら橋」は唯一の屋根付きの橋。その屋根の下には、願い事の絵馬(ご当地鯉幟の祭に因んだ「絵鯉」)がびっしりかかっているという縁起橋です(渡ったら先ず目に飛び込んできた「九大合格」絵鯉のあなた、頑張れ!)。橋の両端には閉業ホテル(柵で囲われ立ち入り禁止)、この景色は廃ビル・廃屋好きの心が擽られそうですね。

 2個所の目的地の内「杖立薬師堂」は旅館徒歩1分の所で出発前に先にお詣り、ということで散歩の最終目的地は「杖立皇大神宮」になりました。歩いて歩いてこの時点で既にいい汗をかいているのですが、最後の「大神宮」に向かう石段は難敵です。落ち葉だらけの上に昨日の豪雨で濡れていますのでなかなかに危険、ところが上ろうとしたところへ向こうから降りてこられた地元のお爺さんは慣れたもんでひょいひょい跳ねながらというお元気さで、すれ違った私に「観光かい? これ、134段だから!」と快活な声。革靴の及び腰は恥ずかしいですがここは用心、まだ厄年にも到達していないのにこんなところで滑って怪我をする訳にはいきません。というか「滑る」はご法度、この「大神宮」の由緒には菅原道真の名前もあったので、わたくしの仕事運と70回生高3の躍進とは特に念入りに祈願を。この石段の上り下りで上半身(Tシャツ)は完全にぐっしょりです。
 杖立温泉、良いところ。何匹も我が物顔の地域猫や、観光マップには載っていない大杉・滝など小発見が楽しく。町中(まちじゅう)をうっすらと温泉の匂いが包んでいるのも良。90分の散歩の後は、無人を確認してから大浴場へ。朝食前に2度目の入浴、温泉ならではです。

 昨日と同じ個室で朝食。これは焼き鮭以外はお野菜中心の家庭的なもの。お櫃のご飯は2膳頂いて、これで夜まで何も食べなくて大丈夫。部屋に戻ってから、ルームサービスで名物の杖立プリンを注文して食欲にとどめ。
 さらにさらに、チェックアウト前にもう一度、部屋風呂総檜をたっぷりと堪能するダメ押し。その後、チェックアウトの時に渡された領収書にミス(2本飲んだ日本酒が1本しかカウントされていなかった)があったので指摘して料金を訂正して貰いました。嘘っ? ていうくらい謝られたんですけれども、そんなので怒るような渋ちんだったら黙って日本酒1本分奢られてると思いますよ。

 山道を折れ降りるバス、40分間かけて日田まで、私以外の乗客は2人で年若いカップル、右側に座った男性の方がやたら女性に凭れ掛かって行って、後ろの座席から見たら漢字の「入」みたいになってました(国語教員だけに感想が金八的です)。ウォークマン椎名林檎カップリング集を聴きながら(「時が暴走する」とか「Σ」とか「東京の女」とか、懐かしいです)。

 大きな荷物を日田駅のコインロッカーに入れたら再びバス乗り場に取って返し、乗り換え約20分で次に乗るべきバスが出発する……のですが、杖立を往復したバスよりさらに一回り小さな車は「これ、バス? ワゴンじゃなくて?」という代物、客席8つ。私は1人掛けの椅子に座りましたが、2人掛けの椅子は見知らぬ人同士が相席をする格好でご時世柄緊張感が。目的地は終点の「皿山」ですが、昨日の杖立行きと同様、終点にある観光地を目指している乗客は皆無で私以外は全員途中下車。「皿山」とは「小鹿田(おんた)焼き」の窯元9軒が集まった山頂の集落、焼き物の里です。という訳で、独りバス(の、ようなもの)を降り立った私、先ずは「皿山地区」の頂上にある「小鹿田焼資料館」で知識を概観。

 歴史の中で「鬼田」→「鬼鹿田」→「小鹿田」と表記が変わっていった「おんた」。「鬼」は「オヌ」で即ち「隠(見えないもの)」というのは高校時代に馬場あき子『鬼の研究』で読みましたが、要するに山奥の「隠田(年貢逃れの隠し田んぼ)」が地名の由来なのでしょう。鹿の生息地だったこと等から歴史的に漢字表記が変わって行き、今は「小鹿田(おんた)焼」です。
 という訳で、先ずは焼き物とは関係ない「隠田」の方に行ってみることに。皿山バス停の焼き物集落「皿山地区」は9戸が暮らす一子相伝の焼き場なのですが、そこから更に(何が起こったか心配になるレベルのガードレール破損で怖さ倍増の悪路を汗だくになって)山奥どん詰まりまで登れば、たったの3戸で山間の棚田を経営している美観地区が開けます。波佐見町に続いて人生2度目の棚田、「焼き物と言ったら山」→「山と言ったら棚田」のマジカルバナナが共鳴しました(但し、波佐見町とは違いこちらは日本の「棚田100選」には選ばれていません)。
 日田観光でここまで(しかも徒歩で)来る人は流石に居ないだろうし私もぶっちゃけその気はなかった、のですが往復25分の山道を小走りしたのは棚田地区の名前が「池ノ鶴地区」だったからでしょう。他所ごととは思えずに最早足が勝手に動いちゃいました。ここの棚田は波佐見町のとは異なり全体が厳しく柵で囲われていましたが、これを「この木なからましかば」と言ったら私の無粋、こんな山奥に用もなく(写真は撮りましたが)立ち入るのは不審者扱いやむなしでしょうね。実際、「皿山」地区に戻る時に郵便局のオートバイとすれ違ったんですけれども、局員の人、下りてくる私を見てギョッとした顔をしてましたもんね。

 「小鹿田(おんた)」の名の通り嘗ては確かに鹿の生息地だったのでしょうが……「この鹿威しはデカすぎる」と独り言。何のことかというと、陶芸用の土をこねる方法が、超巨大な鹿威しの仕組みになっているという話(意味が分らないでしょうから、「唐臼」でググってみて下さい)。
 臼は地面に固定されていてその中に陶器用の粘土が入っています。杵をシーソーのような機構の一方につけ、杵が落下すればて臼の中の粘土をつくようになっているのですが、杵を持ち上げる・落とすのを人力でやらず水力を利用してやっているのが特徴。だから「鹿威し」です。この唐臼(屋外の複数個所に点在)の音が里中(さとじゅう)に響いているのが「小鹿田」で最も印象に残りました。
 山道200mに9戸の陶工が暮らす集落には工房(小さいながら登窯もありました)と展示即売場が密集、波佐見焼ほどデザイン多様ではないのは伝統保持の証で「鹿威し」ならぬ唐臼が文字通り雄弁に「語る」通りですね。それでも戸毎に少しずつ異なる意匠や用途を吟味しつつ、私の普段遣いとHさん・事務嬢さんへのお土産等々を購入。
 事前に観光協会に問い合わせたら皿山での観光・買い物は1時間もあればとのことでしたが、どっこい「池ノ鶴」地区と合わせれば2時間でも厳しかったです。帰りは、皿山バス停まで事前の予約でタクシーを呼んでおきました。これで一気に日田は豆田まで走ってもらいます。

 8/3は「自粛御膳」をお休み、豆田「日田まぶし千屋」にて読書独酌(14時半~16時半)。
 湯引き・骨せんべい・日田まぶし。
 398蔵目・大分「角の井」(芳醇清酒)。
 福岡K市に帰っても店が開いてないなら(開いてても酒が出せないというなら)、日田で飲みまで済ませて旅を仕舞うのが旅行先の土地と自分自身とへの礼儀。飲んで電車に揺られるのはちょっと不安なので気を張って電車座席に。帰宅後は、入浴と荷解きとを済ませたら、軽めのおつまみを「波佐見焼 vs 小鹿田焼」のプレートに並べて小さな二次会。

 楽しい1泊2日で御座いました、明日は働きます(先ずは、旅行中の読書から校内模試を作ります)。

ぜいたくは(素)敵だ!

 8月は上旬に2度の独り旅(どちらも1泊2日)を計画していまして、今日がその初回。K市から鈍行1時間で到着する日田が(取りあえずの)目的地です。
 朝は7時頃まで寝て、起床後に入浴、旅行準備。1泊2日ですからバッグは小さい物でよいですが、汗を掻くでしょうからYシャツの替えは念のために3枚(これが後で奏効しました)、CDは先日の京都に続いてユーミン『Y-miz』、本は昨日「ジュンク堂」で見つけた校内模試用の単行本(勿論、筆者タイトルその他は秘)。
 母君へのお供えは、2泊以上なら御飯と水茶とではなくパンにするのですが、今回は1泊2日なので通常通りの御飯(明日、帰宅後に取り替えます)。お祈りは何となく気恥ずかしいので、お供えをしてお鈴を鳴らした後は(お手々の皺と皺とを合わせて)いつも「頂きます」とお食事前のご挨拶をすることにしているのですが、今日は「行って参ります」。

 鈍行1時間、まぁ長閑な田園風景。日本風景の「ディズニーランダゼイション」を象徴するようなカッパ駅舎(けっ!)の異形も久しぶりに見ました。
 電車内では読書……というか、作問。先ずは本の全体を流し見して、昨日立ち読みで「ここ」と思った場所以上に良い(この場合の「良い」は面白いという意味ではなくて現代文の本文に向いているという意味)箇所は無いことを確認します。その上で、当該の場所を切り取った場合の問い方・解答をひたすら考えるという無言の作業。立ち読みの段階で傍線部を施す場所は大体決まっていますが、そこ以上に相応しい場所は無いかを3000字強をひたすら往復しながら確認。そうしながら、60字程度の解答をどのように組み立てるのかを考えます。バッグの中にはこれ以外の本も2冊入っていましたが、行きの1時間は最初に取り出した1冊(というか、3000字強)を読んでたら時間が蒸発してしまいました。
 11時、日田、着。

 今回の1泊2日、出立地であるところの日田は『進撃の巨人』推しだということを到着して初めて知りました。駅前広場のキャラクター銅像を(礼儀として)写メるところから観光がスタート、案内所では沢山グッズが売られていたので木製のコースターを2セット購入しました。そう言えば、K市の『想夫恋』には作者の諫山さんのサイン(コピー)がありましたね。嘗てアルバイトをしていたそう。
 先ずは駅前の食堂「寶屋」に入り、TVが視界に入らない席で日田ちゃんぽんを食べました。これが絶品、スープが澄み切っていました(子どもの頃からの教育というか母君の呪いというかの影響で麺類のスープは飲まないんですが、今日は2~3口ほど)。日田に行くと行ったら、別の日にご家族連れでドライブがてら訪れるという同窓同僚数学が「あそこのちゃんぽんは旨い」と教えてくれたんですけど、正に。

 日田は(ご退職の超ベテラン体育先生とのドライブで)温泉に一度、豆田に一度訪問したことがあります。但し、最初の豆田観光は時間の関係でお土産屋1軒と日田やきそばの店とだけしか訪れておらず、今回が事実上初めてに近い形。余りに暑いので先ずは「セブンイレブン」で3枚1セットのフェイスタオルを購入して(1枚を首にかけて)、親切な店員さんから頂いた町内マップを見ながら「咸宜園」に向かいました。

 日本遺産認定の「咸宜園」跡、広々とした敷地内には2つの建物が現存していて、どちらにも立ち入ることが出来ます。2階建ての書斎(1階が書庫・2階が書斎)「遠思楼」の階段(狭くて急)を上がり、吹き抜けになっている畳敷きに正座して外を眺めれば、35℃超が信じられない涼しさで憩えます(思わず10分以上ぼ~っとしてました)。もう一つの「秋風庵」は1階建ての教場、こちらの内部には「咸宜園」の歴史を解説する資料も展示されています。その他、井戸や庭などをパシャパシャと写メりながら歩き回り、30分ほど滞在しましたが、私以外の訪問者はゼロ。贅沢ですが、勿体ないですね。

 豆田の通りに入って最初に入店したのは「日田醤油」、事務嬢さんへのお土産があればと思って何気なく入り、取りあえず醤油・白出汁・焼肉のタレをセットで購入。
 そうしたら、入ってから気づいたのですが『雛御殿』という小さな博物館が附設されていまして、これが入場料300円という安さが信じられないような圧巻でした。江戸時代以降現代までの雛飾りがぎっしり。おきあげ雛に吊るし雛は庶民の知恵、博多山笠雛に、幸子ラスボス髣髴の見栄っ張り雛、コメント略(何だか怖いので)のキャラクター雛に、羽子板雛、天皇即位装束雛……等々、1000や2000ではとてもきかない展示群に、時間がどんどん溶けていきました。お土産に、母君のお位牌棚に飾れる吊るし雛、教え子の結婚式(8月末に福岡にて、58回生Iくん)で使える祝儀袋を購入。
 お店では台湾かき氷(フワフワの氷自体が味付きのもの)も売られていて、ボリュームたっぷり400円のマンゴー味……が、半額で200円。泥棒気分でシャクシャクと掬っては口へ、身体がどんどん冷えて大変心地よいのですが、半額の理由が「外気温が37℃を超えたので」と教えられると外へ出るのが怖い。

 雛飾りに目を奪われて、店を出た時には豆田観光の時間は殆ど残っていませんでした(30分強だけしか)。小走りで大通りをぐるり、町の酒屋で地元の(未踏破の)蔵の4合瓶を自分用に購入して、下駄屋に展示されていた日本一大きい一本歯の下駄(1トン!)を写メって、くらいしか出来ていません。本当は有名な「薫長」酒蔵の見学をしたかったのですがこれは次の機会に。
 というか、「小走りで」と書いたのですが後半15分は全速力に。通り雨に降られて少し濡れてしまいました(途中の「ファミマ」で70cmのジャンプ傘を購入)。

 駅前に戻ってバス乗り場、乗るべきバスは予想よりもずっと小さな20人弱がキャパのもので、私以外の乗客10人強はほぼ全員が女性で人生の大ベテラン、明らかに観光客なのは私を含めて2人だけです。このバスの最終目的地は山奥の温泉なのですが、恐らくその途中の停車場で降りられる(日田には買い物か通院かで訪れられた)地元の方なのでしょう……と予想したら果たしてその通りで、誰が住んでんだこんな山ん中、という失礼な感想しか浮かばない停留所を降りられた或る女性の行方を目で追うと、確かに停留所から一直線に下った坂の果てに3軒ほどの家が! というか行きはこの坂を登って来たんかい! と驚くばかり(だって、めちゃめちゃ腰が曲がってた方だったんです)。

 大分県の日田から40分強の山道蛇行バスに最後まで付き合うと、熊本県小国市にある杖立温泉に到着します。先に書いた通り日田発のバスには10人強の乗客でしたが、殆どが山間に住む高齢者で途中下車、もう一人別の観光客(私より年上の男性)は途中の道の駅(『進撃の巨人』の記念館があります)で下車、最後まで付き合ったのは私だけでした。そして、15時に杖立温泉着の直前から降り始めた雨は直ぐにゲリラの豪雨に変わり、最初は「さっき傘を買っておいてよかった~」と思っていたのですがバス停に降りたら「傘が役に立たん!」という現実。予約した旅館までの徒歩10分の道のりだけでシャツと靴と靴下とジーンズがほぼ駄目になりました。「からがら」のチェックイン。
 フロントでは何よりも先に大量のタオルを頂き、靴下を脱いで足を拭き上げます。ぐしょ濡れの靴には、旅館の方が新聞紙を丸めて詰め込んで下さいました。チェックインの書類を書きながら、「お客様、お大変でしたね」「えぇ、濡れました。お風呂は入れますか?」「勿論です、大浴場は今の時間は男性が露天風呂……でも宜しいですか?」「どうせ濡れるのは雨でも温泉でも同じですから、良いんじゃないでしょうか」

 旅館「ふくみ山荘」は独り客OK、総檜の部屋風呂(勿論源泉掛け流し)付きのツイン(和洋折衷のお洒落な12畳)を豪華に借り切って、昨年8月に水害から復興した杖立を応援……しようと思ったらいきなりの豪雨で不穏ですが。
 「芍薬」と名付けられた部屋に入り、先ずは膝下ぐっちょりのジーンズを拭いてハンガーに干し、同じく雨に濡れたバッグの中身の確認(着替えは無事、持ってきた文庫本が少し濡れてしまいましたが読めなくなる程ではなかったです)。本日の宿泊客は私を含めて2組だけなのだそう。
 続いて、濡れた身体を温めるべく、大浴場の露天風呂へ。15時一番乗りのチェックインなので、他に利用者がいない(多分、私が入っている間は来ない)という解放感。雷雨の中の露天風呂なんて初めてのことです。取り囲む木々の葉っぱを打ってから湯面に髪にと降り注ぐ雨粒、これぞ正に頭寒足熱。雨音雷鳴の中で且つ一番乗りで誰もいないのを良いことに放歌して愉快痛快。
 大浴場の利用は一番乗りの1回でお終いかな(と思ったのですが、結局翌日の朝イチにもう一度入って独占使用しました)。食事も風呂(部屋付き温泉檜風呂)も個室の高級宿泊は、水害復興支援兼感染対策です。

 大浴場を出たら16時。夕食18時までの2時間で何をするか、と言えばやはり部屋風呂です(お風呂のはしご!)。総檜の浴槽(183cmの私が首下まで浸かれる、足を目一杯伸ばせる、というかなり大きなもの)の中のお湯はかなり熱かったので、先ずは20分ほどかけて水でぬるめる作業。備え付けの「湯かき棒」でお湯をかき混ぜるというのは初めての体験で入る前からもう愉しい。風呂場は露天ではなく屋根がついていますが、目隠しの隙間から幽かに外の風景が見えて(雨音も聞こえて)開放的。
 シャワーを浴びて(シャンプー・リンス・ボディーソープを使って全身を綺麗にして)、自分で温度を調えた専用の風呂に入るという贅沢。さっきの露天風呂にも30分くらい浸かっていたのに、こっちでもつい20分30分と。ぼ~っと雨音を聞いていると舟を漕いでというか川を渡ってしまいそうになります。

 18時に指定された個室(宿泊の部屋とは別)に行くと、広いテーブルの上に、前菜・小鉢・溶岩焼きの鉄板・飯物用の釜がセッティングされています。おしながきの紙には、以下。
 ・前菜 山海珍味
 ・小鉢 胡麻豆腐イクラ添え
 ・吸物 白魚・木の実・三つ葉
 ・造里 熊本県馬刺し・海鮮三点盛り
 ・焼物 鮎の塩焼き
 ・蒸物 茶碗蒸し
 ・酢物 〆鯖・ホタルイカ
 ・台物 熊本あか牛の溶岩焼き
 ・揚物 アスパラ豚巻き・ナス挟み揚げ
 ・食事 アサリの釜飯し
 ・香物 三種盛り
 ・水物 季節のフルーツ
 美味は前提ですが、それより担当して下さった旅館の方(年若い青年)の気働きに感動しました。私がメニューを見ながら最初のドリンクを注文する時の質問や世間話で私の為人(ひととなり)をそれとなく見つつ、あぁこれは飲むな、と思われたんでしょう。何をするよりも先に釜飯に着火(30分で炊きあがったら10分蒸らす)、多分飲まれるんでしょうけれどもそれなら米は先に片づけて他の肴でガンガン飲みましょうね、と目配せ。で、飲むと知れたらメインの赤牛鉄板焼は火元をお任せしますとチャッカマンまで託されました。2時間半の時間をフルに使ってたっぷり(自分の塩梅で)飲み食いして、傍らの読書ではいずれ出題する(可能性が高い)校内模試の問題を(頭の中で)完成まで持っていきました。しゃ~わせ。
 397蔵目・熊本「小国蔵一本〆」(純米吟醸)。

 季節のフルーツと追加注文した日本酒小瓶1本は、先の旅館の方がお盆にセットして部屋まで運んで下さいました。上げ膳据え膳の極み。
 部屋でだらだらと飲み直す……前に、再び30分ほど部屋風呂に漬かってゆったり。日本酒の瓶は、氷がたっぷりと入ったボックスに刺さっていたので風呂上がりもキンキンです。しゃ~わせ。

 22時半に布団に入って、夜中の3時に一回目が覚めて水を飲んで、ツインだからともう片方の布団に入って二度寝。しゃ~わせ。